■…映画館
□…VIDEO、DVD、TVなど
□ションベン・ライダー<1983> (監督/相米慎二)@DVD
□妄想少女オタク系<2007> (監督/堀禎一)@DVD
■ゼア・ウィル・ビー・ブラッド<2007> (監督/P・T・アンダーソン)@アミューズCQN
□ゴダールのマリア<1984> (監督/J=L・ゴダール)@DVD
□メイド・イン・USA<1966> (監督/J=L・ゴダール)@DVD
□ピーター・グリーナウェイ 初期作品 1(監督/ピーター・グリーナウェイ)@DVD
□白と黒の恋人たち<2001> (監督/フィリップ・ガレル)@DVD
□パラダイスの夕暮れ<1986> (監督/アキ・カウリスマキ)@DVD
□トータル・バラライカ・ショー<1993> (監督/アキ・カウリスマキ)@DVD
□マッチ工場の少女<1990> (監督/アキ・カウリスマキ)@DVD
■不安と魂<1974> (監督/R・W・ファスビンダー)@ドイツ文化会館ホール
■デスペア<1978> (監督/R・W・ファスビンダー)@ドイツ文化会館ホール
■シナのルーレット<1976> (監督/R・W・ファスビンダー)@ドイツ文化会館ホール
■悪の神々<1969> (監督/R・W・ファスビンダー)@アテネ・フランセ
■何故R氏は発作的に人を殺したか?<1970> (監督/R・W・ファスビンダー)@アテネ・フランセ
□ギターはもう聞こえない<1991> (監督/フィリップ・ガレル)@DVD
□DIG!<2004> (監督/オンディ・ティモナー)@DVD
■四季を売る男<1 971> (監督/R・W・ファスビンダー)@アテネ・フランセ
■少しの愛だけでも<1976> (監督/R・W・ファスビンダー)@アテネ・フランセ
■悪魔のやから<1976> (監督/R・W・ファスビンダー)@アテネ・フランセ
□河<1951> (監督/ジャン・ルノワール)@DVD
□雪に願うこと<2005> (監督/根岸吉太郎)@DVD
□小さな悪の華<1970> (監督/ジョエル・セリア)@DVD
【キャスト】
『ションベン・ライダー』の河合美智子の運動神経(男の子になりきる女の子の役)……『ションベン・ライダー』の藤達也の寛容さ(男性としての色気が最高潮の頃と言えよう)……『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・ダノの健闘(「リトル・ミス・サンシャイン」で強い印象を残した彼は、エドワード・ノートンの系譜と言えよう)……『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・デイ・ルイスの怪演(言わずもがな)……『白と黒の恋人たち(原題:残酷な無邪気さ/Sauvage innocence)』のメディ・ベラ・カセムの瞳(彼の透徹した眼差しは、ここ数十年の<映画の視線>における奇跡! 俳優ではなく、フランスの新進作家である)、『白と黒の恋人たち』のミッシェル・シュボールの存在感(「小さな兵隊」の頃からすでに渋かったけれど)……『パラダイスの夕暮れ』のマッティン・ペロンパーとカティ・オウティネンの阿吽の呼吸(言わずもがな)、『不安と魂』のブリギッテ・ミラの執念(「シナのルーレット」でも強烈。画面の中にいるだけで凄い)……『不安と魂』のエル・ヘディー・ベン・サレムの誠実さ(このような人物像に遭遇するとしゃんとさせられる)、『DIG!(音楽ドキュメンタリー映画)』のアントン・ニューコムの狂気!(もう一度叫ぼう、アントン・ニューコム! 彼の音楽性は天才的だ。しかし不器用ゆえに人生は破滅的)……『雪に願うこと』の山本浩司のおとぼけ(は味があってなかなかいいものだ)……『小さな悪の華』のジャンヌ・グーピルの残酷さ(演技を超えて、存在が悪に浸食されているかのようだ)……映画の魅力の八割は、キャストの存在感に懸かっている……「演技をする役者」を人間扱いする必要などない……マネキンと呼んで、マネキンを愛すればいいのだ……やはり個人的には真の人間を映画の中に発見したいのだけれども……ほとんどいない……映画監督と役者が「人間」を創り出さないために……出せないために……一部の映画作家が人間を連れてくるのを待つ他ない。
【スタッフ】
『ションベン・ライダー』の撮影監督/田村正毅の霊感(やはりただ者ではない。田んぼでの銃撃シーンと最後の室内での銃撃シーンとその後の流れが堪らない)……『白と黒の恋人たち』の撮影監督/ラウル・クタールの呼吸(とガレルの演出の呼吸が重なったときの凝縮いったいあれはなんだ! そして編集による切断あれはなんだ! その所為で何度観ても飽きない)……アキ・カウリスマキ監督作品はいつも「美術」が完璧だと思う。最小限の美学……ファスビンダー監督作品におけるミヒャエル・バルハウスの巨匠的なキャメラワークより、ディートリッヒ・ローマンの気障なキャメラワークの方が個人的には好みだ。バルハウスのドリーショットはあれはほとんど執着の世界だ……『ギターはもう聞こえない』の撮影監督/キャロリーヌ・シャンプティエの視線(はとても穏やかだなと感じる。ラウルの攻めと比べて、やわらかい待機がある。風景を撮らせるならキャロリーヌという選択だ。そこにウィリアム・ルプシャンスキーとジャン・イヴ・エスコフィエとジスラン・クロケという三人のキャメラマンを加えれば、個人的に好きな映画の運動はほぼ語り尽くされる)……映画作家以上に、撮影監督への期待を抱きながら作品を鑑賞することに至福がある。
【作品】
『ションベン・ライダー』は(長回しも含めての)破天荒さ、子供の生意気さ(大人を舐めてる所)がやはり宝物である……『妄想少女オタク系』は腐女子/BL系の青春ラブコメだけど、これがとことんさわやか、なんと適確な演出! 深夜ドラマ四話を劇場公開後にソフト化したということだけど、ここには完全に映画のリズムがある。ピンク映画出身の堀禎一監督はあなどれない存在だ……ピーター・グリーナウェイ監督の『初期短編作品集(1)』は、野心に溢れた秀作揃いで驚愕に値する。「ア・ウォーク・スルー・H」はとりわけ完成度が高く、映画という枠から絵画/文学/詩への横断が見受けられ、優れた芸術性がここに集結している。 「インターヴァルズ」「ウィンドウズ」の試みも興味深く、その身軽さに嫉妬する。Hで始まる単語を次々と並べる「セサミ・ストリート」の語学学習のパロディ的な「H・イズ・フォー・ハウス」が個人的にいちばんツボだった。「H・イズ・フォー・ハウス」というタイトルを借用して何か書きたいと思ってる……『パラダイスの夕暮れ』はアキ・カウリスマキ監督のスタイルが完成される一歩手前といった印象で、ゆえに彼のその他の作品以上に愛着を持って接することが義務づけられる。こなれて洗練されてゆく前のこの粗さこそが<映画の瞬間>なのだと叫ぼう……かっちりしたファスビンダー映画としての『不安と魂』を評価しつつ、荒削りな『悪の神々』を個人的にはどこまでも擁護したいと感じた次第だ。『悪の神々』は数々のファスビンダー映画の中でも、瞬間的にグッと来るものがいちばん散りばめられていた。残念ながらウトウトしてしまったけど、ウトウトしつつ大感動する映画というものが世の中には存在します。何度でも観直したい。ファスビンダー映画の最高傑作『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』を再見するつもりが見事に観逃す。結局ファスビンダー映画とは何かと問えば、それは散見されるあの高笑い(コーショー)が全てであるといって過言ではない……『ギターはもう聞こえない』は、恋愛において、いつも未練タラタラになってしまう男のための最高の一本である。男対男のカフェでの会話のシークェンスが泣き所。この映画、ロケーションや室内の簡素さが素晴らしい。そして、なによりも編集が冴えまくってる(フィリップ・ガレルの編集の感受性がいちばん肌に合う。どんな映画監督、編集者よりも! 飛び抜けている。個人的には神様の領域だな。ゴダールよりさらに神経が行き届いている! 方向性は限りなく近いはずなんだ。でも感受性の切れ端が決定的にズレている。ゴダールの道化はそのまんまだけど、ガレルの俯瞰は物悲しい。ナルシス的、悲痛。最後は頭ではなく、心を使っているんだろうな、きっと。好きな映画監督NO,1を選ぼうとすると、ロベール・ブレッソンとフィリップ・ガレルで葛藤することになる。この二名に追随する者はいない。彼らは独走である。彼らが独創である。僅かの差でガレルに軍配かなという気がする。要は倹約を貫徹するかしないかで、しない方を、最終的に抒情にかける方を選択したい。真の知力とは技術ではなく、愛としか考えられないゆえに)。基本的にあまり気持ちよく画面を繋がないことへの、信頼。事象を見せ過ぎない。時々、黒みを入れて、エピソードを印象づける。あるいは余韻を操作する。とにかく編集が内容/意味との必然性によって、断ち切られ、反復され、画面連鎖の中にも登場人物の感情の輪郭が精確に刻み込まれる。表情を介さなくても、表情よりも、一枚の持続しないショットの方がずっと有効的なのだ、映像の細部に宿る魂をけっして見逃さない、それを利用しない。注意深く見守る視線だけが、感動的な映画を生む……音楽ドキュメンタリー映画として考えれば、『DIG!』はかなりの極上品である。これを見逃してる奴は相当やばいぞ。ロックが好きな奴は、黙ってみるべし、相当やばいぞ。尻に火がつくぞ。迷ってなかなか手に取らなかったことを激しく後悔する羽目になるさ、誰だって。ドキュメンタリーの映像表現としては特筆すべきものはないけれど(MTV的な雰囲気だけど)、とにかく内容、アントン・ニューコムというキャラクターの奇跡に心揺さぶられてしまえ、はっきり言って痛々しい程の存在だけど、その音楽的才能はモノホンだ。本質を携えた身体は、ひたすらに沈んでしまえばいい。ブライアン・ジョーンズタウン・マサカーのライブが観たかった……根岸吉太郎監督は現在の日本映画界の中で、いちばん真っすぐ球を放り投げる人物、正攻法の監督かと思われる。鞭を入れる手つきに、まったくブレがない。あまりにお行儀が良過ぎることに難癖をつけたくなるほどの、直球の映画群である。しかしながら、直球でありつつクオリティーを保つというのは実に大変な作業である。ほとんどの映画はこれに失敗している。統計に頼りすぎるからだ。ウェルメイドに仕上げるコツを体得している人間は、それほど多くはない。『サイドカーに犬』<2007>の捌き方に目を見張って、その題材の胡散臭さからずっと遠ざけていた『雪に願うこと』を観る決心がついた。『雪に願うこと』は時代遅れの退屈な作品だけど、多くの商業映画はぜひともこの作品をお手本にして頂きたい。プログラムピクチャーを量産してきた経験が捻くれずに花開いているというか、(年齢的に)妙な諦観があるというか、とにかく設計へのこだわりがあって、最上級のバランス感覚がある。これぞプロの仕事だ! 職業監督的な態度における勝利がある。個人的にはまったく評価しないけれど、とても好きだ。突き抜ける必要なんてない。妥協する必要なんてない。さらりと完璧な映画を作る、創り続けるという映画作家(集団)がいても良いと思う……というよりそういう映画作家だけで充分だと思う……『小さな悪の華』は伝説の映画ではあるけれど、どうも正当な評価がなされていないようだ。内容のスキャンダラスさ、苛烈さだけが取沙汰されるのは仕方がないけれど、自転車の使い方と少女の佇まいは、映画的に一級品だと感じた。少女対社会(宗教)という構図以上に刺戟的なのは、少女対少女の支配−服従関係の物語、その変容である。ある種の囲いが、少女期特有のグロテスクさを深淵から引き出し、真に官能的な行動を促す、という人間の根源的なメカニズム、それに対するキャメラワークの素直さに、とにかく好感が持てるのだ。寓話として記憶に残る一本。同じ実話を扱った『乙女の祈り』よりも断然よい。